中村哲さん(医師・ペシャワール会現地代表)
語る
 

~ アフガニスタンから見たイラク復興 ~

 
中村哲(なかむら・てつ)さん
1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒。84年から、パキスタンのペシャワール、アフガニスタン北東部を中心に診療を続け、2001年からは干ばつに見舞われたアフガン国内で井戸と水路の堀削と復旧、食糧支援なども行う。PMS(ペシャワール会医療サービス総院長)。著書に『医は国境を越えて』『医者 井戸を掘る』『辺境で見る 辺境から見る』(石風社)ほか。

 

  【対 談】医療活動と生活支援を通して知る現実
 
中村哲さんと私は、以前、同じグループ病院に勤めていた時期がありました。9.11テロ直後、84年からアフガニスタンの隣のパキスタンで、ハンセン病患者の支援をしておられた中村さんに国会議員の前で現地の様子を語っていただきました。あれから2年、ようやく藤沢のいのちの講座でお話いただくことができ、230人の参加者が熱心に耳を傾けました。

 

  史上体験したことのない大干ばつ
 
阿部 2年前の9・11テロ事件の後、アメリカがすぐ報復攻撃を表明し、日本の国会もテロ対策支援法を作り自衛隊の派遣を論議し始めたとき、思いついたのです。アフガニスタンといえば、あの変わり者の中村さんがいるところだ、 と。 私は中村さんに、どうか国会で話してくださいとお願いしました。政治は嫌い、国会議員はもっと嫌いだと言われたけれど、中村さんに食い下がりました。中村さんは、お国のためならと、日本に本当の情報を伝えてくださいました。

中村 私たちは、 パキスタンの北側、 アフガニスタンとの国境地帯のペシャワールを拠点に、 国境沿いにまたがって活動を続けております。 私は、 アフガニスタンと九州のことしか知りません。 イラクは行ったこともないが、 近くであるし、 人々がどんな感じ方をしているのかは大体分かります。 類似の問題も沢山ございますので、 一つの参考にしていただければと思います。
 最初に申し上げたいのは、 今、 アフガニスタンは、 私が20年間現地にいた中で最悪の状態にあるということです。 日本では、 何となく落ち着いたように思われているかもしれませんが、 現実は180度違う。 治安は悪化し、 アフガニスタンが史上体験したことのない大干ばつに直面しています。 もし今度、 アフガニスタンが新聞で、 話題性を持って報道される場合は、 一つの破局の始まりと考えて差し支えないと思います。
 アフガニスタンは中央アジアのど真ん中にあります。 国土は日本の約1・7倍。 人口約2000万人の9割以上が農民、 遊牧民です。 99%以上がイスラム教徒で、 各町村にモスクがあり、 モスクを中心に人々の生活がまわっている。 地域共同体のかたまりのような国です。 国民国家ではなく、 ジルガ (伝統的自治組織=長老会議) で地域の出来事を自分たちで決定します。 国土の大部分を占めるのは、 6000~7000メートル級の山が連なるヒンズークシュ山脈という大山脈。 乾燥地帯ですが、 山の雪のお陰で灌漑用水が得られます。 冬の間に降り積もった雪や何万年もかけて出来た氷河が、 夏に溶け出して川を作り、 長年にわたり川沿いに豊かな実りを約束してくれたのです。
 現在アフガニスタンが直面している問題は、 決して政治的な問題ではない。 アフガニスタンでは金がなくても食っていけるけれども、 雪がなくては食っていけないという諺にある命の源の水が枯れてしまったということなのです。 しかし、 アフガニスタンで働いていたNGO国際団体の半分はもうイラクに移っています。
 こんな時だからこそ、 あふれる情報に踊らされたり騙されるのでなく、 じっくり自分たちのことを考える時代に差し掛かっているのではないだろうか、 これはイラクのことについても言える、 と私は思います。

阿部 84年、 私は実は脳死・臓器移植の反対運動に立ち上がりました。 脳死という新しい死の定義を作りだして、 お腹を切り開けば血が出るような状態の人から内蔵を取り出して移植をすることが本格的に議論されだした頃でした。 アフガニスタンで難民となって国外へ移動することすらできない人たちのように、 限られた場所で、 限られた生を生きるしかない子どもたちと向き合た経験から、 ものも言えない人の体から内蔵を取り出して利用するくらいなら、 自分は医者である必要はない、 と思いました。 日本の医療が専門分化し、 効率を重視し、 死にかけた人の部品をこっちの人に使う、 そんな方向に向かい始めたのと同じ頃、 中村さんが日本の医療を離れた理由をお聞かせください。

中村 私は山が好きで、 パキスタンに行ったのも78年に一山岳隊員としてヒンズークシュ山脈のティリチ・ミールに行ったのがはじまりです。 数年してたまたまある医療団体から、 ペシャワールで医師が足りないから誰か行ってくれないかという話がありました。 私は、 あぁ、 いっぺん行きたかったからと、 行ったのが運の尽きといいますか、 次から次へと出てくる問題に向かっているうちに浦島太郎みたいになってしまったというのが事実ですね。 話としては、 立派な動機があってそこに赴き、 志と信念を貫いて現在に至ったというのが分かりやすいですけれども、 残念ながら、 私にはこれといった信念はありません。 ヒトラーもブッシュも信念の人ですが、 私はそういう信念は願い下げです。 自分の気に入ったところで、 自分の出来る範囲で、 人々と楽しい気持ちで暮らす方が良いんじゃないか、 それ以上の望みもなかったし、 今もありません。
 限られた場所で、 色々な制約のあるなかで、 人間として最低限出来ることを尽くせば、 それで十分ではないかと思っております。 こんな状態を放っておいたらこの人は死んでしまうのではないかとか、 少しだけでもいいから、 相手の身になって考えることがあれば、 一主婦、 一サラリーマンで終わろうとも、 それで十分じゃなかろうかと思っております。

阿部 中村さんに国会でお話いただいた後、 私と辻元清美さんと北川れん子さんの三人の議員で、 ペシャワールにお邪魔させていただいたのが二年前の秋のことでした。 アフガンで冬を越す人たちに、 小麦とオイルを送るという計画の始まりの頃、 中村さんは、 相手が生きていくためには、 一刻も早くそれを送るんだと活動しておられました。 その後も井戸を掘り、 水を引き、 ため池を作り続けておられます。

 

  命を政治の中心に据えたい
 
中村 9割以上が農民ですから、 食糧自給はアフガニスタンの死命を制する問題です。 経済成長率なんてちゃんちゃらおかしい。 大体あそこに、 国民経済などあり得るのか、 というのが私の素朴な疑問でして、 山の中では、 ほぼ完全に近い自給自足なのです。 この干ばつで、 家畜の9割が死んだ。 食糧自給率は50%を切っています。 われわれは、 乳製品の生産、 家畜の回復、 緑化に取り組み、 豊かだった農地を回復します。 教育が足りない、 民主主義だ、 平等だと、 拳を振り上げなくても、 現地の風習であるブルカをかぶるのは女性差別だと非難を浴びせ、 攻撃の口実にして当の女性の命を奪ってしまうような本末転倒のことをしなくても、 もう少し人間として共通した問題、 食っていくことについて協力できる余地がある、 それが彼らとの大事な接点の一つになっていくのではないでしょうか。

阿部 この秋の国会で子どもからの臓器提供を認める法案が通過してしまいます。 子どもにチャイルドドナーカードを持たせ、 あなたが臓器を提供するのは良いことだと教えるわけです。 命という一番大事なものはあげたり、 譲ったり出来ない。 どんな人もありのままに生きることが、 政治の中心になればいいと思います。

中村 かつて言われた左翼とか右翼とかいう壁は崩れました。 本当のところはなんだろうかと知ろうとすること、 生きている上で、 人として最低限これくらいはしなければ、 ということを大事にしていけば、 どんなに世の中が変わっても、 大体誤りはないのではないか。 どの場所、 どの時代でも、 一番大切なのは命です。 子どもを亡くした母親の気持ちも世界中同じです。 去年の暮れ、 私の十歳の子どもが脳腫瘍で死にましたけれども、 親の気持ちは痛切です。 そういう命に対する哀惜、 命ををいとおしむという気持ちで物事に対処すれば、 大体誤らないのではないかと私は思っております。

 

(「阿部とも子News ともことかえる通信No.13」(2003年10月号)に掲載)