真屋求さん(第3次厚木爆音訴訟原告団長)と語る
 

~ 厚木基地爆音問題 ~

 
真屋 求(まや・もとむ)さん
1926年香川県生まれ。1944年、香川師範学校本科に入学するが、1945年学徒動員により、愛知県で軍用偵察機のエンジン作りに従事。敗戦後、東京都の小学校教員に。1960年、大和市で厚木基地爆音防止期成同盟の発足に参加、以降、40年以上にわたり、基地の爆音をなくすため闘い続けている。

 

 【対 談】日米地位協定を改訂させ住民守る視点で対処を
 
社民党は、国政の場での勢力は小さいけれども、基地県の議員の比率がもっとも高い政党です。私と福島瑞穂さんは神奈川県、照屋寛徳さんと東門美津子さん、大田昌秀さんが沖縄。11人の議員のうち5人が基地県なのです。米軍基地に関する問題の解決には、日米地位協定の改訂が欠かせません。改訂案を具体的に提案できれば他党との連携の可能性もあります。厚木基地の騒音問題に長年取り組む真屋さんに基地による被害と問題解決の方策を考えるため、対談をお願いしました。

阿部 私たちの住む神奈川は、 沖縄に次ぐ第二の基地県でもあります。 8月の沖縄での米軍ヘリ墜落事故には、 非常にショックを受けました。

真屋 僕は事故の10日ほど前に、 参院選で糸数慶子さんの応援に行き、 嘉手納基地とその移転先候補地の辺野古の基地反対で座り込みを続けるご老人たちと3時間肩を組んできました。 ですからよけいに、 恐れていたことが起こってしまったという思いを強くしました。 大学の構内なのに、 大学の自治権も国の主権も踏みにじり、 現場から県警さえしめだすとは、 占領軍と同じです。 厚木基地の爆音問題もそうですが、 基地問題の解決には、 まず日米地位協定の改訂が必要です。

 

  大和市に家を買って「しまった!」 と思った
 
阿部 地位協定がからむと、 妥当性や必要性が検証されないまま、 日本政府はアメリカ側の言いなりになってしまいます。 逗子の池子の米軍住宅も、 どのくらい住宅が不足しているのかというデータはまったく根拠に乏しいものです。 沖縄でも、 池子でも、 厚木でも侵害されているのは私たちの主権、 人権です。 厚木基地の爆音訴訟も主権を取り戻す運動といえます。 真屋さんが、 運動を始めたきっかけをお話いただけますか。

真屋 小学校の教師をしていた僕は、 1960年3月、 小中学校や病院も近く、 蛍もいる環境のいい大和に土地を買って家を建て、 家族と一緒に引っ越してきました。 当時33歳、 これで落ち着けると思っていたら、 飛行機が飛び始めました。 爆音に驚いて外に飛び出すと、 飛行機の黒い胴体が見えました。 すぐに不動産屋に買ってもらって逃げ出そうと思ったら、 不動産屋は 「あんな土地を買う人はいないよ」 というのです。
 そこで周囲に住んでいる人たちと国から金をもらって逃げ出そうと考えました。 これが、 厚木基地爆音防止期成同盟の始まりですが、 当初は、 厚木基地爆音防止“有償疎開”期成同盟でした。 その後、 逃げ出そうとしている新住民と代々地元に住んでいて逃げ出せない人たちが、 有償疎開と爆音を止める運動を一緒に取り組むようになりました。 そして、 60年の暮れ、 厚木基地周辺は有償疎開させるという閣議決定がされましたが、 一番一生懸命活動した僕らの地域は外れていました。

 

  長男の死――もう逃げ出さないやれることはなんでも
 
真屋 翌61年10月、 長男 (当時6歳) と次男 (当時4歳) を乗せていた私の兄の自転車が、 見通しのいい踏切で電車にはねられました。 戦闘機の騒音で、 近づいてきた電車の音が聞こえなかったためです。 長男は即死、 次男は奇跡的に一命をとりとめました。 僕は、 もう逃げ出すまいと腹をくくりました。

阿部 ご長男の事故の後にも、 随分、 墜落事故が起きています。

真屋 64年4月、 今の町田市の商店街に飛行機が落ちて4人死亡、 31人負傷、 同年9月には大和市の館野鉄工所に落ちて5人死亡、 77年9月には横浜市緑区に落ちて幼児2人と母親が亡くなりました。 鉄工所の事故の後は、 バスをしたてて、 首相官邸へ乗り込みました。 69年の8月15日からは3日間、 政府に飛行制限、 遊休地のイーストキャンプの即時返還などを求めて、 滑走路の北に3日間座り込みをしました。 こちらにジェット機のお尻を向けエンジンを吹かせるという米軍の嫌がらせに耐え、 やっと3日目に回答があってイーストキャンプが返還されることになりました。 現在、 環境センター、 温水プール、 大和球場になっている場所です。 また、 飛行高度やコースの制限、 防音工事の国庫負担、 道路舗装なども勝ち取りました。 その後は、 71年と75年に金も組織もないまま市長選に立候補しましたが僅差で敗れ、 第1次から第3次の厚木基地騒音訴訟 (※) を闘い、 今にいたります。

 

  基地を出ていかせるには金を出さなければいい
 
阿部 アメリカには100万、 150万人の人口密集地に基地はありません。 ノースカロライナの基地では、 厚木基地への追加配備が発表されたのと同じスーパーホーネットが配属されたら、 環境破壊をめぐって訴訟が起こり配備が差し止められています。
 日本の防衛施設庁は、 基地周辺のみならず、 騒音公害が近隣市にまで広がったため、 18年ぶりに騒音の防音工事対象区域を見直していましたが、 スーパーホーネットが追加配備されるため、 調査をやり直すとのことでした。 しかし、 住民に被害があり訴訟まで起きているのに、 日本政府は、 アメリカに対し自国民の人権をまともに主張してきませんでした。

真屋 アメリカの軍備再編は、 コスト削減という考えが反映されています。 基地を出て行かせるには、 日本から金を出さなければいいのです。 僕たちの賠償金を負担したのも日本政府です。 地位協定24条 (瑕疵のある側が賠償金を負担する) をアメリカに履行させ、 思いやり予算を廃止、 飛行規制協定を合理的に改正し、 環境基準の達成を求める必要があります。 僕も今年で78歳になりました。 「子孫に基地を残さず」 と誓って静かな空を取り戻すために運動を続けて44年が経ちました。 不戦の21世紀を作るため、 少しだけ老いを止めてほしい、 と願いながら裁判を闘っています。 阿部さんも、 ぜひ、 日米地位協定改訂のためにがんばってください。

阿部 米軍基地の再編が進められています。 厚木基地を返還させるチャンスです。 日本政府が、 アメリカに強く迫るようにこれまで以上に国会内外の活動を強めたいと思います。

※第1次(76年、大和市の爆同会員92人が原告。飛行差し止めと損害賠償を求め提訴。横浜地裁勝訴、東京高裁敗訴、上告して最高裁へ。高裁差し戻しとなた損害賠償請求が認められた)、第2次(84年、大和市、綾瀬市の爆同会員161人が原告。飛行差し止めと損害賠償を求め提訴。東京高裁で損害賠償が認められた)、第3次(97年、基地周辺住人5047人が原告。損害賠償もとめ提訴。2002年10月横浜地裁は国に対し総額27.5億円の支払いを命じた。国が控訴、現在東京高裁で係争中)

(「阿部とも子News ともことかえる通信No.17」(2004年10月号)に掲載)