藤井裕久さん(民主党顧問/元財務大臣)と語る
 

~政治家が歴史を学ぶ意義

 
藤井裕久(ふじい・ひろひさ)さん
1932年、東京都生まれ。東京大学卒業後、大蔵省入省。竹下登、二階堂進両氏の下で内閣官房長官秘書官を務めた後、76年同省退職。77年参議院選に自民党から出馬し、初当選を果たす。93年に自民党を離党し、新生党結党。細川内閣、羽田内閣で大蔵大臣に就任。99年自由党幹事長兼政策調査会長、2004年民主党幹事長に就任。09年民主党鳩山内閣で財務大臣就任。12年に政界を引退し、現在は民主党顧問。近年は全国各地で講演活動を続けている。

 

 

 【対 談】 熱狂の空気に抗う叡智を
 
安倍政権によって、日本の民主主義が根本から覆され、平和や基本的人権が失われようとしています。一方で、それを「おかしい」と言う野党もいない有様。なにか政治家の軸がなくなってきているように感じます。なぜ軸がないのか。原因の一つに、政治家が歴史を知らないことがあるように思います。そこで今回は、民主党顧問である藤井裕久さんにお話を伺うことにしました。藤井さんは、先日出された著書『政治改革の熱狂と崩壊』(角川oneテーマ21)でも、政治家が歴史を学ぶことの必要性を説いていらっしゃいます。
 
 ■戦争を知る人間が中心だった時代 日本は安全だった■
 
阿部
 藤井さんは民主党「近現代史研究会」の座長を務めておられます。まず、その研究会の話からお聞きしたいのですが。

藤井
 あの会は、2005年、当時党代表だった岡田克也さんからやってみないかと言われましてね。小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝が波紋を広げていたときなんですが、岡田さんは、「靖国の問題がいまの視点でのみ議論されているのはおかしい。過去の歴史をたどって考えるべきではないのか」と言うんです。それで、そういうことに関心が深い私に近現代史を学ぶ会をつくってくれないか、と。

 そこで議員や学者などが集まり、明治から昭和の歴史、とくになぜ戦争に突入し、あれだけの犠牲者を出してしまったのかといったことを研究しようと会を立ち上げたんです。2006年には講演録をまとめた『歴史をつくるもの』(中央公論新社)という本も出しました。本の序文に文章を寄せたのですが、そこに私の政治の師である田中角栄さんから教わった言葉を引用しました。まぁ、阿部さんは角栄さんのこと、嫌いだろうけど……。

阿部
 いえいえ、そんなことないです。好きですよ(笑)。

藤井
はははは。角栄さんは、こう言ったんです。「戦争を知っている人間が社会の中核である限り、日本は安全だ。しかし、戦争を知らない人間が中核となったときが問題だ」。研究会をやろうと思ったとき、この言葉が念頭にありました。角栄さんが危惧した時代に入ったいま、戦争を知らない若い世代に歴史を勉強してもらいたいと思ったのです。
 
 ■戦争体験を語り続けることは われわれ世代の責任■
 
阿部
 翻って、いまの国会議員の内訳を見ると、実は衆参ともほぼ9割が戦後生まれなんですよね。藤井さんは、一昨年に政界を引退されるまでは、数少ない戦前生まれの国会議員のお一人でした。終戦時、藤井さんはまだ子どもだったと思いますが、当時の体験は深く心と体に刻まれているのではないですか?

藤井
 忘れられない記憶があります。昭和19年から20年にかけて、私は学童疎開で小平にいたんですが、ある日そこに米軍のB29が飛んできたんです。軍需工場がありましたから。これに日本軍の戦闘機が体当たりして、両機とも墜落した。私たちは、米軍の食べ物がないかと思って両機が落ちた現場に行ったんです。そこで見たのは、バラバラにちぎれて散乱した兵士の腕や足でした。おそらく米軍の女性兵士のものだと思うのですが、赤いマニキュアをした細い片腕もありました。その光景を見たとき思ったんです。戦争というのは、勝者も敗者もみんな犠牲者なんだ、と。

阿部
 たとえば靖国神社の境内にある遊就館の展示には、神風特攻隊の悲劇などが強調されていますが、実は勝者だってたくさん傷ついている。そうした観点から戦争というものを見直す必要があるように思います。

藤井
 私たちより上の世代は、加害者でもあったから、2度と戦争はしたくないけど、同時に思い出したくもないし、語りたくないという人も多かった。だけど、私たちは当時、子どもだったから率直に戦争を語ることができる。いやなこともみんなしゃべってます。これは死ぬまでの責任だと思ってますから。
 
 ■翼賛体制に与せず当選した 85人の国会議員たち■
 
阿部
 経済の専門家でもある藤井さんは、著書の中で、経済問題がときに戦争を導くことにも言及しておられます。

藤井
 昭和初期、民間右翼や軍人によるテロ、クーデターが相次ぎます。そのあと、軍部の暴走に歯止めがきかなくなって戦争へ突き進むのですが、そうしたクーデターの背景には、貧富の格差がありました。当時、東北では飢饉が続いていたのに、東京では豊かに暮らす人たちがいた。多くの庶民が抱く格差への不満が、暴走という形で現れたのです。

阿部
 格差が人々の中に不満や絶望感を生み、それをちゃらにするには戦争しかない、という乱暴な論理になっていくこともある。

藤井
 安倍首相が進める経済政策は、富める者をより富むようにする政策。その結果、当時と同じように格差が拡大している。

阿部
 いま盛んにお札を刷ってて、さらに先日、日銀が追加の金融緩和を決定しました。けれど、この金融緩和は出口戦略がない。

藤井
 これまでの歴史で、リフレ政策によるばらまきは何度も試みられてきた。そのたびに人々は熱狂したけれど、あとには社会の混乱が起きています。このままだと同じことが起きます。誰かがこの熱狂の中、空気に迎合せず、「違うものは違う」と言わなければ。  戦争に向かって翼賛体制ができたときだって、それに対し果敢に抗した人たちがいました。昭和17年、シンガポール陥落で日本中がわき立つ中行われた翼賛選挙で、反翼賛の議員が85人も当選している。このことを阿部さんにも知っておいてもらいたいのです。
 
 ■格差の縮小をめざし 平和主義を貫いた政治家■
 
阿部
 さきほど話に出てきた田中角栄さんは、いろいろと批判もされている人ですが、彼が政治家としてずっと力を注いできたのは“格差の縮小”なんですよね。生まれ故郷の雪深い新潟でも、都会と同じような暮らしができるようにしたい、と熱望していた。

藤井
 角栄さんが私に、「谷川岳をつぶす」と言ったことがあります。雪の苦しみを解消したかったんですね。私は「それは神への冒ぼう涜とくです」と言ったら、すごく怒られました。「おまえみたいな都会っ子に雪のなにが分かる」って。彼は格差の悪い方に生まれてますから、なんとかしたい気持ちが人一倍強かった。その点、2世議員などとは全然違います。

阿部
 田中さんは、1972年、自民党の総裁選へ出馬するとき、「国民への提言」というのを発表しているんですが、この中身がスゴイ。「憲法第9条を対外政策の根幹にし、中華人民共和国との国交回復をすみやかに実現し、アジアと世界の平和に貢献する」とある。

藤井
 実際にそれを貫き、総理大臣になってから国交正常化も実現しましたからね。  その「提言」を見れば明らかですが、彼は基本的に現行憲法でいくという立場だったんです。安倍首相は、田中内閣の示した72年の政府見解を集団的自衛権が行使できる根拠にしているけど、そんなの大嘘。本当にしゃくにさわる。いま角栄さんが生きていたら、集団的自衛権には絶対反対ですよ。

阿部
 田中さんがめざしていた方向性は、いまこそ大事にすべきことだと思います。だから、私、ホント好きなんですよ(笑)。







(「阿部とも子News ともことかえる通信No.49」2014年11月号に掲載)